2012年4月19日木曜日

十一(什一)献金 (2)





ふと、献金を検索していたら、とっても十一献金に対して批判的な意見が多いのだと知りました。
実は、私は、一番最初に行っていた教会で
「献金をたくさんしなければ救われない」とか
「最低1万円献金しないとだめだ」とか言われてあまり行かなくなりました。

聖書にはそんなこと書いていないことは明確だからで、
聖書には神様は献金することより、その心が大事なのだと書いてあります。

そう思ったわたしは 実際 ホームレスの支援や東南アジアの子供の支援にお金を使っています。
もう かなり長い期間・・・・・
「右の手のしていることを左の手に見られないようにしなさい。」
これが 基準なのでしょうね・・・・・
単純に、神様が与えてくれているから 与える。

ただね。私は、十一献金はするべきだと思っています。

創世記を丁寧によんだかたは気がつくと思うのですが、
人間はなぜこの世に作られたのでしょう?
①アダムは 神様ににせて作られました。
②人間は、地上の管理者として作られました。
③当初神様の御心が行われている領域はエデンだけで、人間は産めよ増えよとおっしゃられて神様の領域を増やす為だったと思われます。
④しかし、人間が悪魔にその権利を譲り渡してしまいました。
しかし、神様は、悪魔と人との間に隔たりを設け かかとで打ち砕くとおっしゃっているとおり、最初の贖いの約束をされて、神様は、神様の領域を人間に広げることをのぞんでいます。

以前、教会で、献金をしようと思った時私は、11000円しか持っていなくて、だから1000円献金しようと思いました。しかし、実際は、1万円献金していました。
無意識にです。
まちがえたと思って、返してもらおうか考え始めた時神様は
「わたしが必要としている」とそうおっしゃいました。
だから、そのままです。
その後、神様は、わたしが必要なときはいつもお金や人を用意してくださいました。
全財産を人の為につかったときも、同じ金額を一週間以内にわたしに反してくださいました。
神様はすばらしいかたです。
10分の1を義務と考えず 神様に捧げればその10倍は祝福されるのだと考えなおせばいいと思います。

それも、信仰なのです。
信仰に応じてすればいいし、信仰が10分の1捧げるまでいかない場合はするべきではありません

0 件のコメント:

コメントを投稿