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2012年6月5日火曜日

創世記における メシアの預言2 創世記3:15


1、創世記3:15 エバ(アダム)の子孫として

創世記3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
15 わたしは、おまえと女との間に、また、お前の子孫と女の子孫との間に、敵意を置く彼は、お前の頭を砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。
16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
(新改訳聖書 たぶん2版)


まず 最初にアダムをイメージしたいのですが・・・・・
アダムは 土くれに神様の息によって命を吹き込まれましたよね・・・・・・
実は、これを読んだだけで私は、処女マリアが神様の霊によって身ごもったことをイメージします。
神様の意図するものとはちがうと思いますけど・・・・・
さて、創世記3章の箇所をみてみたいと思います。
もともと、地上の支配権はだれが持っていたのでしょう?
実は、神様は人間に与えていました。
エデンの園とはどんな場所でしょう?
それは、神様の領域・・・・・
天で起っていることが地で起こっているばしょ・・・・・・
神様は地上が神様の国のような愛で満ち溢れたばしょにしたかったのではないでしょうか?
でも、アダムとエバは神様を裏切りました。

罪・・・・・・・
簡単に言いますが、罪は、自分自身の自由を結果として奪ってしまいます。
想像してみてください。
殺人、強盗、窃盗、姦淫、etc 両親を敬わないことから 人を馬鹿にすることまで・・・・・・
気分のいいものはありませんよね・・・・・・
知恵の実(善悪の木の実)によって罪を自然にしるようになった人類。
神様とのたった一つの約束を守らなかったという罪・・・・・・
そのことによって 心が縛られてしまった・・・・・
罪というものの奴隷として・・・・・・・

この時点で地上の支配権は人から悪魔に移っています。
マタイの福音書で、悪魔はイエス様に 地上の支配権のことを言っていますよね。
そこでわかります。

3:15 神様の愛がわかるところですね。。。。。
罪に落ちた人に対して・・・・もう、救いの計画を発動させています。
神様・・・荒々しいイメージがありますけど・・・・・本当は、とっても愛で満ち溢れた方。

「彼(イエス様)は、お前の(悪魔)の頭を砕きおまえは 彼のかかとにかみつく。」

十字架の福音は 悪魔の業(頭)を打ち砕きましたよね。
悪魔の業によって十字架にかかったのですが、実は、そのこと自体が救いの完成・・・・・・


2012年5月30日水曜日

創世記における メシアの預言



創世記におけるメシアの預言





















創世記には私が、見る限り6か所は存在します。


1、創世記3:15 エバ(アダム)の子孫として
2、創世記9:25-27 セムの子孫として
3、創世記18:18 アブラハムの子孫として
4、創世記21:12 イサクの子孫として
5、創世記28:3-4 ヤコブの子孫として
6、創世記49:10 ユダの子孫として   生まれる。

と読み取れます。
創世記以外では 詩篇で ダビデの子孫として生まれると読み取れる箇所があります。(詩篇132:11)


上記の内 アダムは イエス様の型
アブラハムは神様の型
その息子イサクはイエス様の型
イサクの妻 リベカは私たちの型
すぐにでてこないのですが、エリエゼル?だったと思うのですが、アブラハムの執事は 聖霊の型だと思います。

イサクに関しては、ほふられようと したのに それに従った。
まさに、イエス様が十字架にかかるところをイメージします。
その あとに エリエゼル(ちがったらごめんなさい)を使わして花嫁を迎えにいくところ・・・・
現在、わたしたちは、十字架のおかげで 花嫁とされていますよね。
私たちの世話は聖霊様がしてくださっています。
私の場合は、聖霊とイエス様と神様の区別がつかなかったので私に聖書の個人レッスンをしてくださったかたが、イエス様だと思い込んでいましたが、聖霊様なのでしょうね・・・・・・


続きというか、描写は子孫だけではないですし、創世記のいろいろな箇所をみるとイエス様のことをかかれていると思えることがありますので また あとで 触れたいと思います。




2012年1月29日日曜日

bible note2012.1.29

今日の聖書の箇所:
1ヨハネ4~5

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神から出たもの
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1ヨハネ4
①イエスキリストを告白できる
2 人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
3 イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。
②愛し合う
7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。


先に神様が愛してくださった。

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御霊と水と血
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1ヨハネ5:6 このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血によって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
7 あかしするものが三つあります。
8 御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。(新改訳)


6 This is he that came by water and blood, even Jesus Christ; not by water only, but by water and blood. And it is the Spirit that beareth witness, because the Spirit is truth. 7 For there are three that bear record in heaven, the Father, the Word, and the Holy Ghost: and these three are one. 8 And there are three that bear witness in earth, the spirit, and the water, and the blood: and these three agree in one.(NKJ)

Οὗτός ἐστιν ὁ ἐλθὼν δι' ὕδατος καὶ αἵματος, Ἰησοῦς Χριστός: οὐκ ἐν τῷ ὕδατι μόνον ἀλλ' ἐν τῷ ὕδατι καὶ ἐν τῷ αἵματι: καὶ τὸ πνεῦμά ἐστιν τὸ μαρτυροῦν, ὅτι τὸ πνεῦμά ἐστιν ἡ ἀλήθεια.
ὅτι τρεῖς εἰσιν οἱ μαρτυροῦντες,
τὸ πνεῦμα καὶ τὸ ὕδωρ καὶ τὸ αἷμα, καὶ οἱ τρεῖς εἰς τὸ ἕν εἰσιν.(ギリシャ語)

NKJの訳は飛躍しすぎていて理解しがたいと思ったのですけど^^;
AMP聖書でも同じことを書いてありました。
6This is He Who came by (with) water and blood [[a]His baptism and His death], Jesus Christ (the Messiah)--not by (in) the water only, but by (in) the water and the blood. And it is the [Holy] Spirit Who bears witness, because the [Holy] Spirit is the Truth.
7So there are three witnesses [b]in heaven: the Father, the Word and the Holy Spirit, and these three are One;
8and there are three witnesses on the earth: the Spirit, the water, and the blood; and these three agree [are in unison; their testimony coincides].(AMPbible祥訳聖書)

父と言葉と聖霊 聖霊と水と血 これはひとつのものだと。
言葉はヨハネの福音書の家計図からするとイエス様のことです。
ですから、ここで三位一体がわかりますね。

サマリヤの女性が水を汲んでいたときイエス様がいった言葉
”ヨハネの福音書 4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」”

血については
”コリント人への手紙第一 11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」”

これが聖霊を受けているのと同じだということがわかりますよね。


多くの教会でもう聖霊は聖書のなかでの話だと思っていませんか?
イエス様の与えるパンは 枯れることのない泉からでているのですよね。
聖霊も血といったいならば 決して枯れることはないのではないでしょうか?