2012年4月23日月曜日

十一(什一)献金 (3)

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捧げること
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聖書の中で最初に神様への捧げものをしているシーンはアダムの息子アベルとカインのシーンです。
アベルは最上のものを神様に捧げました。
カインについては、特に記述はないのですが(逆に記述がないので)そうではないのだと思います。
10分の1を最初に行ったのはアブラハムだったと思いますので、それよりもずっと前のことですね。
(夜にでも、これらにつては聖書の箇所を加えますが・・・・)

ここでは、捧げものは 実は 神様への礼拝だったのだと言えます。

二つ目に捧げることの効果・・・・・
アダムとエバはなぜ地上の支配権を悪魔に譲り渡してしまったのでしょう?
実は、悪魔は、罪を犯させることによって支配権を奪っていきます。
聖書では、神様が十字架の意義を信じることによってすべての罪が赦されると書いてあります。ただ、そこには悔い改めるという行為も含まれていると思います。 そうね・・・・クリスチャンになっても、罪を犯すことはあります。だから、イエス様が必要なのですよね・・・・ その罪を犯すこと自体が悪魔に支配される隙になります。けっか罪という名の悪魔の奴隷となります。

金銭、物に関しても同様です。お金や、物に執着すると結果として、神様が主ではなくなります。
お金の奴隷となるからです。私たちは、神様の恵みによって日々の糧を得ることができます。
ですから、本当は、すべて神様のものなのです。
だから、本来、私たちの持ち物は神様が自由に使っていい物なのです。
でも、神様はそうしないですよね・・・・・・・

想像してみてね・・・・・・別に10分の1でなくていいのですよ。もっとたくさん捧げてもね(^.^)

三つ目は・・・・・・・・
でも 三つ目はささげることに限ったことではないですけど・・・・
マラキ書等に書いてあるとおりですね・・・・

まとめ
①捧げることは、実は礼拝自体です。
②捧げることは、物欲、金銭欲から離れることになり。
③ささげることには、神様の約束があります。

あ 捧げることは義務ではないのですよ。
十分の1も心がないのにするべきではないです。
あくまで、あなたの信仰に応じてね・・・  Xiong

Bible Note's 2012.4.22-4.28


weeks 9
Sun I Corinthians 1-2
Mon Genesis 32-35
Tue Judges 17-21
Wed Psalms 24-26
Thu Job 17-18
Fri Isaiah 45-50
Sat Matthew 23-25

2012年4月19日木曜日

十一(什一)献金 (2)





ふと、献金を検索していたら、とっても十一献金に対して批判的な意見が多いのだと知りました。
実は、私は、一番最初に行っていた教会で
「献金をたくさんしなければ救われない」とか
「最低1万円献金しないとだめだ」とか言われてあまり行かなくなりました。

聖書にはそんなこと書いていないことは明確だからで、
聖書には神様は献金することより、その心が大事なのだと書いてあります。

そう思ったわたしは 実際 ホームレスの支援や東南アジアの子供の支援にお金を使っています。
もう かなり長い期間・・・・・
「右の手のしていることを左の手に見られないようにしなさい。」
これが 基準なのでしょうね・・・・・
単純に、神様が与えてくれているから 与える。

ただね。私は、十一献金はするべきだと思っています。

創世記を丁寧によんだかたは気がつくと思うのですが、
人間はなぜこの世に作られたのでしょう?
①アダムは 神様ににせて作られました。
②人間は、地上の管理者として作られました。
③当初神様の御心が行われている領域はエデンだけで、人間は産めよ増えよとおっしゃられて神様の領域を増やす為だったと思われます。
④しかし、人間が悪魔にその権利を譲り渡してしまいました。
しかし、神様は、悪魔と人との間に隔たりを設け かかとで打ち砕くとおっしゃっているとおり、最初の贖いの約束をされて、神様は、神様の領域を人間に広げることをのぞんでいます。

以前、教会で、献金をしようと思った時私は、11000円しか持っていなくて、だから1000円献金しようと思いました。しかし、実際は、1万円献金していました。
無意識にです。
まちがえたと思って、返してもらおうか考え始めた時神様は
「わたしが必要としている」とそうおっしゃいました。
だから、そのままです。
その後、神様は、わたしが必要なときはいつもお金や人を用意してくださいました。
全財産を人の為につかったときも、同じ金額を一週間以内にわたしに反してくださいました。
神様はすばらしいかたです。
10分の1を義務と考えず 神様に捧げればその10倍は祝福されるのだと考えなおせばいいと思います。

それも、信仰なのです。
信仰に応じてすればいいし、信仰が10分の1捧げるまでいかない場合はするべきではありません

2012年4月16日月曜日

十一(什一)献金


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捧げること
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献金(捧げもの)について聖書ではたしか36か所の記載があったと思います。
また、十分の一に関しては67箇所の記載があったと思います。

献金は必要なのでしょうか?
では箇所を確認したいのですが、
マラキ書では
十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。
(マラキ書3:10)
 試みてみなさいとおっしゃっています。
実は同じことを申命記でもおっしゃっていて
10 十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―万軍の主は仰せられる―わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。(申命記17:10)

これは、神様の約束だと思います。・・・
では、新約の時代になって これは無効になった約束なのでしょうか?
わたしは、違うと思います。

ユダヤ人(クリスチャンを含む)は寄付・献金についてどう行っているかというと
10分の3を神と神の働きにささげています。
具体的には
①人口調査時にすべてのひとは半シュケルの税金を払った

②十分の1は必ず寄付・献金されるが
②-1それとは別に祭司のために10分の1がささげられた
②-2また十分の1が神殿維持のためにささげられた
②-3さらに3年ごとに貧しい人たちのためにささげられた。

③第3に初穂のささげものがあった・・・(最初の初穂を主にささげよ)

④それとは別に自らの献金があった。

また、ユダヤ人の方が書かれたビジネス書には必ず献金のことが書かれています。

単純にみても少なくとも20%以下のささげものはありえなかった。

また、脱線しますけど、(敬虔な)ユダヤ人の方たちは自分の持てる3分の1の時間も神様に捧げています。
だから、欧米ではボランティアされるかたを多く見かけるのかなとも思います。

神様が試してみなさいとおっしゃっています。
私たちも試してみませんか?


*当初記述したものが①かなり数字がまちがっていたこと、72→67 ②十分の1のささげものではなく 10分の1の誤りでした。 ごめんなさい

biblenote 2012.04.15-04.21



Week 8
日曜日 Romans 15-16
月曜日 Genesis 28-31
火曜日 Judges 12-16
水曜日 Psalms 21-23
木曜日 Job 15-16
金曜日 Isaiah 40-44
土曜日 Matthew 20-22


2012年4月9日月曜日

Bible note 2012.4.8-4.14


weeks 7
日曜日
Romans 13-14
月曜日
Genesis 24-27
火曜日
Judges 7-11
水曜日
Psalms 18-20
木曜日
Job 13-14
金曜日
Isaiah 34-39
土曜日
Matthew 17-19



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ある時 気がついたの・・・・・
私が悲しい時、神様も涙を流されているのだって・・・・
イエス様が十字架にかかったのは、誰かの為でもなく
わたし 「ひとりの」 ためにかかられたのね・・・・・
世界中の人がたとえ わたしひとりでも かかられたのだって思えるから・・・・・
だから、わたしも、たった一人の為にでも命をはっても守りたいと思えるのでしょうね。


12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。
16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。
17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
(ヨハネの福音書15章12-17)





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創世記26章
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34 エサウは四十歳になって、
ヘテ人ベエリの娘エフディテと
ヘテ人エロンの娘バセマテとを妻にめとった。
35 彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となった。


エサウの妻等
 エサウの妻等の名に関して本章の記事は二十六章および見十八章の記事と齟齬しているように見ゆるがゆえに、比較して説明しよう。
 本章によればエサウの妻等は、
  (1) ヘテ人エロンの娘アダ (三十六章二節)
  (2) ヒビ人ヂベオンの娘アナの娘アホリバマ (同上)
  (3) イシマエルの娘バスマテ (三十六章三節)
 また二十六章および二十八章によれば、
  (1) ヘテ人エロンの娘バスマテ (二十六章三十四節)
  (2) ヘテ人ベエリの娘ユデテ (同上)
  (3) イシマエルの娘マハラテ (二十八章九節)
 (1) エロンの娘はアダとバスマテと異なれる名が録さるれども同人である。アダの意味は『楽しみ』でバスマテは『馨しき香』であるから、たぶん結婚せし時に自分の好めるバスマテの名を付けたのであろう。(2) アホリバマとユデテも同人にて、ユデテは女性のユダにて『讃(ほま)れ』を意味している。これも結婚のために付けた名である。しかしてアナは母の名、ベエリは父の名である。
 (3) イシマエルの娘の名も初めはマハラテであったが、(1) と同じくバスマテの名を用いたのであろう。
******出典
http://web.mac.com/biogeochemistry/sacellum/genesis/chapter_36.html

エドムとセイルの関係
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%AD%90%E5%AD%AB%E3%81%A8%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%81%AE%E5%AD%90%E5%AD%AB%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%B1%95%E9%96%8B



ヒビ人について
http://en.wikipedia.org/wiki/Hivite

2012年4月4日水曜日

マタイの福音書2 (マタイ1:1~17)家系図に書かれている愛


・聖書を最初に手にして、たぶん、新約聖書を開くのではないでしょうか?
その一番最初に書いてある書物がマタイの福音書・・・。
一番最初に躓きそうになるのが、この家系図ではないでしょうか?
人の名前が延々と書いてある部分・・・・
わたしも、実は、意味がわからなかったので、最初のころはちゃんと読んでいませんでした。(>_<)

 ・聖書で一番大事なことは、神様の愛でイエス様は十字架にかかる前に
「私がしたようにたがいに愛し合;いなさい」とおっしゃいました。
私は、愛を基準にしてどうなのか?という点を中心にいつも聖書を読みすすめてほしいと思っています。

 ・さて、家系図の箇所で、マタイの福音書の家系図は「血の家系図」であることを説明しました。
では、イエス様の血の系図にどんな人物が入っているでしょう?
実は、女性が5人入っています。
タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻、そしてマリア。
マリアを別にして4人は、ユダヤ人から見ると決して好ましい女性ではないです。
①嫁タマルは、舅ユダとの間にペレツとゼラをもうけました。
②ラハブは賢い女性だがエリコの町の売春婦(ヨシュア記2、6章)
③ルツは立派な人物だがユダヤ人の嫌うモアブ人です。
④ソロモンの母に至っては、バト・シェバという名があるのに、わざわざウリヤの妻と、問題があることが判るように記しています。
ユダヤ人は、血統を重んじます。だから、混血のサマリヤをさげすみます。
でも、この家系図では、明らかに、イエス様が問題のある血の家系にうまれていることがわかります。

 ・ここに、神様の愛があると思います。
  世界中の、どんな人も、神様は救いのなかに入れようとお考えです。
  だから、イエス様は唯一の命令(戒め) 互いに愛しあうということを行っていかなければいけないのだと改めて思うのですね。

2012年4月2日月曜日

bible notes 2012.04.01-04.07



6週2012.04.1-2012.04.07
日曜日 Romans 11-12
月曜日 Genesis 20-23
火曜日 Judges 1-6
水曜日 Psalms 15-17
木曜日 Job 11-12
金曜日 Isaiah 29-33
土曜日 Matthew 14-16



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士師記
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*******士師記 2章**********
16 そのとき、主はさばきつかさを起こして、彼らを略奪する者の手から救われた。
17 ところが、彼らはそのさばきつかさにも聞き従わず、ほかの神々を慕って淫行を行い、それを拝み、彼らの先祖たちが主の命令に聞き従って歩んだ道から、またたくまにそれて、先祖たちのようには行わなかった。
18 主が彼らのためにさばきるかさを起こされる場合は、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさの生きている間は、敵の手から彼らを救われた。おれは、圧迫し、苦しめる者のために彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。
19 しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行いや、頑迷な生き方を捨てなかった。

この箇所はマタイの福音書のたぶん12章の後半に書いてある悪霊の話とリンクすると思いました。